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Hall of Fame
最後の四割打者 テッド・ウィリアムズ
  2000年に、コロラド・ロッキーズのトッド・ヘルトンがシーズン中盤の8月21日に、一時打率を4割に乗せた。半世紀ぶりの4割打者の期待がかかったが、結局シーズンが終わってみれば.372であった。59年前、最後に打率4割を達成した選手―――それが、テッド・ウィリアムズだ。

  ウィリアムズが打率4割を達成したときのことだ。1941年の最終戦、試合前にウィリアムズの打率は.39955、4割に限りなく近い数字であった。当時レッドソックスの監督を務めていたクローニンは、ウィリアムズにフィリーズとのダブルヘッダーを欠場するよう提案した。しかし、ウィリアムズは、試合に出た。結果は2試合で計8打数6安打。打率.406となり打率4割を達成した、というわけだ。
  そんなウィリアムズが生まれたのは1918年の8月。サンディエゴで生まれ育った彼は、幼い頃は両親に放っておかれることが多く、自然と野球に打ち込んでいた。
  パドレスのマイナーでプレーしていた彼は、レッドソックスと契約、39年にメジャー昇格を果たした。その年、いきなり打率.327、本塁打31、打点113の好成績をのこした。しかし、守備が原因でボストンのファンとはうまくいかず、レフトに転向した。グリーンモンスターのおかげで守備のときにファンの罵声を気にすることはなかっただろう。守備も他の外野手と比べても上手いぐらいになった。
  41年、ウィリアムズは打率4割を達成し、さらに本塁打王にも輝いた(惜しくも三冠王はのがした)。しかし、MVPに選出されることはなかった。

  ちょうどその頃、アメリカでは戦争の最中で、その影響はベースボールにも確実に広がりつつあった。1939年に始まった第2次世界大戦にアメリカ合衆国は参戦。例に漏れず、ウィリアムズも海軍の召集リストに掲載された。徴兵されたが、このときは1度も実戦に加わることはなかった。46年7月に復帰し、戦争中もトレーニングはしていたこともあってすぐに勘を取り戻すことができた。この試合、ウィリアムズは3本のホームランを放った。この年、レッドソックスはインディアンスを破り、リーグ優勝を果たした。ワールドシリーズは自身も打率.200におわり、チームは3勝4敗でカージナルスに惜敗した。47年、初の三冠王を獲得し、再びMVPのチャンスが巡ってきた。しかし、記者との不仲が原因で、またしてもMVPに選出されることはなかった。
  そんな中、こんどは朝鮮戦争が勃発。ウィリアムズは徴兵され、海兵隊に加わった。こんどは実際に戦闘機に乗って39回も出撃、ぎりぎりのところで生還したこともあった。
  兵役から戻ってきたウィリアムズは、「ベースボールのヒーロー」以上に、「アメリカのヒーロー」として迎えられた。35歳で再び復帰、57年に39歳で記録した.388で、メジャーリーグ史上最年長の首位打者になった。そして、やはりMVPに選ばれることもなかった。ただし、兵役から戻ってきた46年と三冠王になれなかった49年にMVPに輝いている。引退は42歳になった60年。最後の試合は9月28日のオリオールズ戦、8回に通算521号ホームランを放った。試合の途中にベンチに下がり、実質19年間の選手生活に幕を下ろした。

-->>テッド・ウィリアムズ通算成績

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