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Hall of Fame
サンディー・コーファックス
  「お金よりも大事なものがある」 あまりにも突然の幕切れだった。
  キャリア11年間で314回の先発、137個の完投を記録した。エースとして活躍しはじめたのが60年から、ということから3,4試合に1試合コンスタンに投げていたことになる。これは驚異的な数字で、引退した66年にも27勝をあげている。

  コーファックスがドジャースに入団した55年は、まだドジャースがニューヨークのブルックリンに本拠地をおいていた頃である。右腕のドライスデールとともに期待されて入団したが、入団当時コントロールに苦しみ、なかなか安定した成績を残すことができなかった。最初の6年間は36勝40敗と並み以下の成績だった。そのコーファックスに変化が現れたのは61年だった。この年のスプリングキャンプ中にあるきっかけをつかんだのだ。練習試合に登板するコーファックスに向かって捕手がこういった。「今日はちょっと楽しんでみないか? 変化球を中心にいこう」
  
  彼は剛速球にキレれのある変化球を持ち合わせた球界を代表するエースになった。
  

  63年、ドジャースは10勝投手5人という強力投手陣でワールドシリーズに勝ち進み、その年のナ・リーグ防御率1位のコーファックスはその第一戦に先発した。相手は2連覇中のヤンキース。コーファックスは立ち上がりからチェンジアップと落差の大きいカーブでいきなり五者連続三振を奪い、被安打6の2失点でさらにシリーズ15奪三振のシリーズ記録を樹立して勝利を飾った。さらに中3日で王手のかかった第4戦に先発、ヤンキースは7回にマントルの一発で同点に追いつくが、そのウラ、ドジャースが勝ち越し、結局ドジャースは4年ぶるの世界一に輝いた。2勝をあげたコーファックスはMVPにも輝いた。
  2年後の65年、再びワールドシリーズに進んだドジャースはシーズン382三振を奪ったコーファックス、ドライスデールを中心とした先発陣で25本塁打の
H.キルブリューや首位打者トニー・オリバーを擁するツインズと対戦。1,2戦目を落としたが3戦目からドジャースが盛り返し、コーファックス5,7戦目に登板。
またしても2勝をあげ、2度目のシリーズMVPに輝いた。
  しかしシリーズで3試合に登板するなどこのころの登板過多がコーファックスの左腕を徐々にむしばんでいた。66年、30歳のシーズンに27勝をあげ、例年通りの活躍を見せていたが、シーズン終了後に引退を決意。理由は数年間苦しんだ左腕の痛みだった。医師からは、「これ以上投げ続けると日常生活にも支障がでる」とまで言われ、当時は珍しいアイシングを行っていたが、シーズン終盤には痛み止めの注射を打って投げるほどだった。五年後の殿堂入りは史上最年少だった。

-->>サンディー・コーファックス通算成績

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