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ミスター・オクトーバ レジー・ジャクソン | ||
レジー・ジャクソンという名を聞いて、ほとんどの人がまず思い浮かべるのは、あのワールドシリーズ3打席連続本塁打だろう。 その伝説が生まれたのは1977年のことだ。FAでレジー・ジャクソンを獲得したヤンキースはプレーオフでロイヤルズを3勝2敗で下し、前年に続きワールドシリーズに勝ち進んだ。対するドジャースはこれまで17回のワールドシリーズに出場している西海岸の名門チームだ。 奇跡が起こったのはヤンキースが3勝2敗で大手をかけた第6戦、ここまでこのシリーズで2本の本塁打を放っていたジャクソンは2対3とリードされた4回裏、ドジャース先発のバート・フートンと対戦。ヤンキースは第2戦でフートンに僅か1点に抑えられていた。その打席、ジャクソンは初球を振りぬき、1本目の2ランホーマーは外野スタンドへと消えていった。この本塁打でヤンキースは5対3と勝ち越しに成功した。 ジャクソンがメジャーにし昇格したころにさかのぼってみる。1967年にメジャーに昇格したジャクソンは3年目の69年に早くも47本塁打とその実力を見せ始め、ジャクソンの所属するアスレチックスは72年から3連覇を成し遂げた。72年のシリーズは故障で出場機会がなかったものの、翌年のシリーズには最終戦で自身ワールドシリーズ初となる本塁打を放ち、2連覇に貢献している。74年には新監督アルビン・ダークの下、ドジャースと対戦、4勝1敗で3連覇をなし遂げた。このシリーズでの本塁打は第1戦の1本にとどまったが、5四球と相手投手にとって脅威であることを示していた。そして、75年オフ、FAでヤンキースに移籍してきたのだ。 話は戻って77年のワールドシリーズ第6戦。再び打席が回ってきたのは5回。ランナーを1人置いてフートンとの2度目の対戦、ジャクソンの打球は大歓声の外野スタンドにまたしても吸い込まれていった。 この時点で7対3とヤンキースの62年以来の優勝はほぼ決まっていた。3度目の打席は8回、投手はフートンからナックルボーラー、チャーリー・ハフに変わっていた。詰め掛けた観衆が「もしや」との思いでワールドシリーズ史上初の3打席連続本塁打を期待していた。 今度も初球だった。この瞬間、彼はワールドシリーズの歴史の新たな1ページを加えたのだった。 ジャクソンといえば大舞台での印象がクローズアップされがちだが、コンスタントに成績を残した打者だといえる。73、75、80、82年と計4回の本塁打王に輝いている。そして、ヤンキースの永久欠番の中で黒人選手はこのレジー・ジャクソンのみである。 ヤンキース退団後はカリフォルニア・エンゼルスに移籍。86年には最後のワールドシリーズのチャンスが会ったが、レッドソックスとのリーグ優勝決定戦に敗れ、惜しくも最後のチャンスを逃した。そのオフ、古巣アスレチックスに戻り、そこで21年間の選手生活に幕を閉じた。 -->>レジー・ジャクソン通算成績 |
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